頑張ってもうまくいかない人は、全部やめてみればいいと思った話。

「なんだか『生きづらさ』を感じてる人、多くないかな?」と思うことがある。

先進国ではトップクラスの自殺率、Twitterでの炎上、増加し続けるパワハラ件数、退職代行など。

中でも「退職代行」というサービスを聞くと、「辞めたくても言い出すことすらできない空気なのか…」と暗い気持ちにもなる。

先日は、こんな記事もあった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190828-00000000-sh_mon-bus_all&fbclid=IwAR0NZgG3Vx677ePrXrwGkeJccnvUnGEv3xBm8oCOUteG4adBHEecnfD0xfA

要は、「調査対象のアジア太平洋地域14ヶ国のうち、日本人は最も上昇志向がなく、断トツで自己研鑽していない。そして、外国人と一緒に働くのを最も望まず、年齢による上下を嫌い、男性は男性優位を望む。さらには会社は好きではなく、上司も好きではなく、転職はしたいが、実際に転職活動はしない傾向が強いことがわかった。」のである。

みんな「生きづらいのかなぁ」と思うと、また暗い気持ちになるのである。

***

前の職場の同僚に「転職するする詐欺マン」と呼ばれている先輩がいた。

実はわたしはその職場に配属される10年ほど前からその先輩のことは知っていたのだが、「あまりにも体形が変わりすぎていて」部内異動当初には気づかなかった。

責任の重いポジションに就くと、不規則な生活や食生活から100kgを超えるほどまでになるのである。

「お前、おれに挨拶もなしかぁ?」と因縁をつけられ、声と名前が一致してようやくその人だと気づいたくらいだった。

彼は、周りから遠ざけられていた。

それもそのはず、わたしがその部署に赴任してからすぐ、こういう光景を見た。

若手が仕事をしていると、担当でもないのに「おれがいいって言ってからあいつ(決裁する上司)んとこ持ってけよ」と謎の横槍を入れるのである。

しかもその先輩の指導は長く、焦点がズレていてきつかったのだが、後輩がそれを指摘すると大爆発するので、指導に沿った内容に見せかけつつ趣旨を変えずに仕事を進めなければならないという具合だったのである。

その先輩に指導を受ける用の資料を、本来のものとは別途に作る若手がいたくらいだった。

「大学院のときの教授から声をかけられてる。とりあえず、講師から始めるわ」というのが口癖で、職場には不満があり、転職も考えているようだった。

ある日、わたしはその先輩に別室に呼ばれ、とある案件の指導を受けた。

その時の彼の発言が余りにも衝撃だった。

「オレはさぁ、お前ら若手を教えるだけが仕事なんだよ。もうオレに出世はないからよ」と言うのである。

その先輩がなんだか哀れにも思えたし、だからと言って彼のおせっかいを許せるわけでもなかった。ただ、今思えばその先輩はずっと、「生きづらさ」を感じていたのかもしれない。

***

先日、Twitterや最近はテレビなどでも話題の「レンタルなんもしない人」を取材した。

@morimotoshoji

取材の中で、冒頭に紹介したニュース記事に触れ「転職したくてもしない人が多いようです」と言うと、「辞めたい気持ちが足りないんじゃないですかね」と言っていた。

確かにそうだろう。

ただ、「辞めたい」という気持ちの強さは、「これをしたい(したくない)」という「軸」の強さによるものだ。

レンタルなんもしない人は、会社員やライターとしての仕事が長く続かなかったことから「自分は『なんもしないこと』がしたいんだ」と自覚されたそう。

そもそも何をしたいのか、何をしたくないのかがはっきりしていなければ、何にも熱中できないし、とりあえず「現状維持で」ということになるだろう。

このモヤモヤこそ、何となく自分の居場所がないような、居心地が悪いような、「生きづらさ」の正体ではないだろうか。

また、取材の中で「どういう価値観を大切にしていますか?」と質問すると「その時の気分を一番大切にしたいです」という回答をいただいた。

なるほど、その時の気持ちに素直になるということ。

これは、多くの現代人がしたくてもできていないことではないだろうか。

何をしたいか、したくないかというのは仕事に限った話ではない。

仕事に熱中する人、趣味や遊びを楽しむ人、家族との時間を大切にする人がそれぞれいていい。

「それぞれの感じ方で『豊か』であればいいじゃないか」と思うのである。

***

なんもさんを取材していて、わたしにも思い当たることが多くて驚いた。

これまでのことを振り返ると、したいこと、したくないことをはっきりさせ、その時の気持ちに素直になって行動している時が一番幸せを感じていることに気づいたのである。

わたしは10年務めた国家公務員を辞め、民間に1年半いたが、今は専業ライターをしている。

収入や将来の安定性という観点で言えば、今は最も生きにくいはずだ。

しかし、何をしたいのか、何をしたくないのかということを考えたとき、専業ライターという生き方は、わたしにとって最も生きやすくなる。

好きなことを仕事としてそれに熱中できること、在宅で働けて家族との時間が取れること、他の煩わしさから自由でいられることが自分にとっては一番の価値なのだ。

もちろんうまくいかないことや、会社で働いていた時の方がいい面もある。ただし、したいこと、したくないことをはっきりさせて動いていれば、それ以外のことをある意味「諦められる」のである。

これに気づくのに33年かかった。

何をしたいか、何をしたくないかを見極めるには時間がかかる。

しかし、残りの人生を豊かに生きるためには、必要なことなのだ。

***

最近では、よく「行動せよ」ということが言われるようになった。

社会の変化のスピードが増し、常に勉強し続け、自分を変えていくためにも「迷っている暇はない、行動せよ」ということである。

これは、間違いないとは思う。

しかしその前には、したいこと、したくないことをはっきりさせることが必要なのではないだろうか。

自分が何を一番大切にしたいのかがはっきりしていないのに、「行動」ばかり増やしていっても何にもならない。

したいこと、したくないことをはっきりさせた上で、やめるべきものは迷わずやめる。そして、心が納得して「豊かさ」を感じられる方向に「行動」してみてみるのがいのではないだろうか。

ライター
めんおう

専業ライター。大学卒業後、防衛省にて10年勤め、民間企業を経てフリーランスへ転向。ネット、働き方、英語、取材などを中心に書いています。クライアント様の伝えたいことを、万策をもってお伝えします。
|スマートニュース掲載、上位表示記事多数|コラムの連載、寄稿(わたしのネット様、ゼロプラス様、スタープラチナ様など)|気軽にご連絡ください!
ブログ:めんおうブログ
Twitter:@mennousan